カフェ「ミレニアム」の奥、普段は使われていない古い書庫の扉が、きぃ…と軋んだ音を立てて開いた。
しずくは、埃を払いながら、棚の奥にしまっていた一冊のファイルを取り出した。
それは、彼女がまだ研究者だった頃、共同研究者と交わした記録の束だった。
「時空間干渉理論」
それが、彼女と“彼”と、そしてもうひとりの研究者・神代(かみしろ)が取り組んでいたテーマだった。
神代は、しずくとは対照的な人物だった。
情熱的で、理論よりも直感を重んじる男。
彼は、時間を超えることに強い執着を持っていた。
「過去を変えられれば、未来は救える」
そう語る彼の目は、いつもどこか焦っていた。
しずくが時を越えたのは、事故だった。
だが、神代は——意図的にその“事故”を起こした可能性がある。
彼は、しずくと彼の関係に、どこか嫉妬していた。
そして、彼女が時を越えた後、神代の行方は誰にもわからなくなった。
「まさか…彼も、時を越えて…?」
しずくの背筋に、冷たい水が流れるような感覚が走った。
もし神代が今も生きていて、何かを企んでいるとしたら—— 遥人に危険が及ぶかもしれない。
その予感は、すぐに現実となった。
数日後、カフェに見慣れない男が現れた。
黒いコートに、無表情な顔。 目だけが異様に鋭く、店内を見回している。
「いらっしゃいませ」 しずくが声をかけると、男はじっと彼女を見つめた。
「久しぶりだな、しずく。70年ぶりか」
「……神代、なの?」
男は、にやりと笑った。
「お前は、まだ探しているのか。あの男の“残滓”を」
「彼は、ただの残滓なんかじゃない。彼は…彼は、私の時間を止めた人よ」
神代は、鼻で笑った。
「くだらん。過去に縛られて、何になる。俺は未来を変える。お前のように、感情に溺れたりはしない」
その言葉に、しずくの瞳が鋭く光った。
「あなたは、まだ気づいていないのね。時間を超えるということは、記憶を背負うということ。
未来を変えることは、過去の痛みを繰り返すことなのよ」
神代は何も言わず、ただ一言だけ残して去った。
「また会おう。今度は、彼の前で。」
その言葉に、しずくの心がざわついた。
遥人に、何かを仕掛けるつもりだ。
彼が“彼”であるかどうかに関係なく、神代は彼を狙っている。
しずくは、決意した。
もう、迷っている時間はない。
彼を守るために、すべてを話すときが来たのだ。