カフェ「ミレニアム」は、街の片隅にひっそりと佇んでいる。
古びたレンガ造りの外観に、木製のドア。
けれど、その扉をくぐった者は、誰もが言うのだ。
「なんだか、時間の流れが違う気がする」と。
それもそのはずだった。
このカフェは、しずくが70年前に設計した“時空安定装置”の上に建てられている。
彼女が時を越えた後、再びこの時代に現れたとき、偶然その場所に辿り着いた。
いや、もしかすると、引き寄せられたのかもしれない。
「ミレニアム」——それは、千年を超えても変わらぬ想いを象徴する言葉。
しずくはこの場所に、彼との記憶を重ね、静かに生きることを選んだ。
だが、神代の出現で、その静寂は破られた。
彼が遥人に何かを仕掛ける前に、しずくは真実を伝えなければならない。
それが、彼女の“選択”だった。
夜。 カフェの灯りが落ちた後、しずくは遥人を呼び出した。
ふたりきりの店内。
カウンター越しに、彼女は一杯のラテを差し出した。
「これが、私のすべてです」 「……?」
遥人がカップを手に取ると、ふわりと立ちのぼる湯気の中に、光の粒が舞った。
その瞬間、彼の意識が遠のく。
気がつくと、彼は見知らぬ研究室に立っていた。
白衣を着た若い男と、長い髪の女性が、何かを議論している。
男の顔は、鏡のように自分と重なっていた。
「これは…夢? いや、記憶…?」
彼は見た。
しずくと“自分”が、研究に没頭し、笑い合い、そして——別れを迎える瞬間を。
「また、会おう。きっと、どこかで。」
その言葉を口にしたのは、確かに自分だった。
遥人の目から、涙がこぼれた。
意識が戻ると、しずくが目の前にいた。
彼女の瞳も、潤んでいた。
「あなたは、彼の記憶を受け継いでいる。
でも、あなた自身は、あなた。無理に思い出す必要はないの」
「でも…僕は、君に会いたかった。ずっと、理由もわからずに、君を探してた気がする」
「それは、きっと——」
そのとき、カフェの扉が乱暴に開かれた。
神代だった。
その手には、奇妙な装置が握られている。
「終わりにしよう、しずく。お前も、彼も、過去に縛られすぎた」
「神代、やめて。彼は関係ない」
「関係ない? 彼は“鍵”だ。お前が時を越えた理由そのものだ。
彼を消せば、お前もこの時代に縛られる理由を失う。自由になれるんだ」
神代が装置を起動しようとした瞬間、カフェの床が淡く光り出した。
それは、しずくが70年前に埋め込んだ“時空安定装置”が反応した証だった。
「この場所は、記憶と時間が交差する“結び目”なの。
あなたがそれを壊せば、時の流れが崩壊するわ」
神代は一瞬、動きを止めた。
だが、次の瞬間、遥人が立ち上がった。
「やめてください。僕は…僕は、彼女に会うためにここに来たんです。
たとえ前世の記憶が幻でも、今の僕が、彼女を大切に思っていることは本当です」
その言葉に、しずくの心が震えた。
遥人は、彼ではない。
でも、彼の想いを受け継ぎ、今この瞬間に“彼女を選んだ”のだ。
神代は、しばらく黙っていた。
やがて、装置を静かに下ろし、ひとつため息をついた。
「……やはり、お前たちは、俺とは違う時間を生きているようだな」
そう言い残し、彼はカフェを去った。 その背中は、どこか寂しげだった。
しずくと遥人は、しばらく黙っていた。 そして、しずくがそっと言った。
「ありがとう。あなたの言葉で、私はようやく前に進める気がする」
「じゃあ…これからは、僕と一緒に、今を生きてくれる?」
しずくは、微笑んだ。 それは、70年の時を越えて、ようやく咲いた笑顔だった。
🌟完🌟